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「頑張れ」「大丈夫?」の持つ危険性(三羽)

このメッセージは、被災者の方や、震災に関連した苦しみを持つ何か被害にあった方に何かを言いたくても何を言って言いか分からない方、そして、現地で被災者の方々を助けようとしてる援助者の皆さんのお役に立つことを願って書かれています。
我々が普段よく使う表現について、立ち止まって考える機会となれたら幸いです。


被災者や、震災に関連した苦しみを持つ方に対して「頑張れ」「私も頑張るからあなたも頑張れ」「大丈夫だ」「大丈夫?」こうした言葉が持つ問題について、指摘する声が上がっています。
うつ病の方に「がんばって」は禁句っていうのがすこしずつ認知されているようです。
皆さんは、これらの表現について立ち止まって考えたことあるでしょうか?
「頑張れ」「大丈夫」は、あまりにも多用されているため、意外と考えなしに使われていますが、実はとても気をつけていきたい表現です。
特に今この時は。


以下にその理由を説明していきます。

まずは、なぜこれらが危険かということについて具体的に説明していきます。

例えば、「頑張れ」。
被災者の方々は、もうすでに頑張り尽くしています。
頑張って頑張って、でもどうにもならなくて、心が悲鳴を上げているような状態にいます。
すでに限界点まで行っていて、それでも生き延びるために必死で戦っているのです。
そしてそんな状況ですら、本人はもっと頑張らないといけないと思っていて、頑張れない自分にいら立ちすら感じていることもあるくらいで。。。

そうした状況で、もし何も知らない外部の人間から「頑張れ」と言われたら、どうでしょう?
それはこれまでの本人の頑張りをまるで否定しているかのようにも聞こえますし、さらにもっと追いつめてしまうことになりかねません。
「これ以上何をどうすればいいっていうの!?」
「そんなこと分かってるよ!!」
「あなたに何が分かるっていうんだ!!」
仮にこんな風に感じてしまったとしても、「善意」から出ている言葉にそうは言いにくく、そのため、ますますストレスを抱えさせることにもなりかねません。
お分かり頂けるでしょうか?

また、「大丈夫だ」「大丈夫?」
これらも、同様です。
被被災地の方から、「大丈夫だ」って言われても、被災した本人たちが今、「ああ、大丈夫なんだ」と感じられるとは限らないのです。
ここで指摘しているのは、命が救い出されて、その瞬間に「もう大丈夫」と言われる話や、医者にかかって「大丈夫ですよ」と言われる話ではありません。
被災者に対して、しばしば周囲が多用する、安心させようとする表現についての「大丈夫」についてです。
人生設計が覆され、家や財産が無くなり、家族や友人を失い…このような方々には、「大丈夫」なんて軽々しく言う事は出来ません。
言っている本人すら、何がどう大丈夫かなんて分かっていやしないでしょう?

また、「大丈夫?」の問いかけも、明らかに大丈夫じゃない人に言うのは危険です。
相手が大丈夫じゃないって分かっているのに、「大丈夫?」って質問することにいったい何の意味があるのでしょうか?
問われた方は、仮にどんなに大丈夫なんかじゃくても、「うん大丈夫、ありがとう」とか言うしかないでしょう?
これもまた、相手の心に無駄な負担を与えることになりかねません。

こういうことを書いていくと、「じゃ、どうすればいいんだ!もう何も言えない!!」、こんな声も上がってくると思います。
当然ですよね。
これは本当に難しい問題です。

では、上のような各言葉・表現の是非ではなく、なぜあれらが不適当なのかを考えてみましょう。
そうすると、少し光明があらわれるかもしれません。

上の言葉の共通の問題点。
それは、あれらは言われた側のためではなく、実は言う側のために発せられていることが多いということです。
困っている方、苦しんでいる方を目にした時、人として、そして心配している立場として、我々には何か言いたい、何か役に立ちたい、こうした気持ちが沸き起こります。
それは当然の気持ちです。
だから、何かしようとする、そこまではとてもいいことなんです。
ただ、その際にしばしば、相手のためではなく、そうした自分のために言葉を発してしまう、ここが問題となるのです。

・「頑張れ」…相手がどう受け取っているかはともかく、自分は激励して元気付けている気になれます。
・「私も頑張るからあなたも頑張れ」…自分も相手と同様の立場に立ち、いっしょに頑張れている気になれます。
・「大丈夫」…相手を慰め、力づけてあげられている気になれます。
・「大丈夫?…自分が相手を心配している気持ちを伝えてあげている気になれます。

こうした自己満足のために、我々は無自覚にこうした表現を使います。
受け取っている相手の立場や気持ちはなおざりにされがちです。

ですから、被災した方や、何か辛い目にあっている方に何かしよう、何か言おうとする時には、普段の何倍も気をつけて、相手が今何を欲しているのか、何が本当に相手のためになるのか、そこを心からじっくり考え、意識してやっていかなければならないのです。

プロの臨床心理家として働いている私ですら、今回の被害の酷さから、これに対する答えなどそう簡単には出てきません。
怒り、悲しみ、無力感、絶望感、孤独感、罪悪感すら生じてきます。
そして実はそういう感覚こそ、実はまさに被災した方々が感じているかもしれない気持ちなのです。

だからこそ、気の利いたアドバイスや、相手の苦しみを途端に解消するような言葉を作る必要はありません。
ただひたすら、苦しみ、頑張っている気持ちを聴き、その気持ちを少しでも理解しようとする、それだけでも、聴きとろうと努力し続けることだけでも、相手の心を楽にできるかもしれません。
それを聞くのが、辛いあなた自身のためではなく、本当に辛い目にあっている方のためだけに聴こうとすること、これは本当に難しいことです。
でも、そうしたことが一番大切になっていきます。

また、言葉に困るような心情の吐露に対しては、沈黙も意味を持ちます。
ただ静かに相手の話を聴いていく、または気持ちすら話せない相手と共に居つづける、これだけでも、相手の力にはなりえます。
沈黙が気まずい自分のために、余計なことを言う必要は無いのです。
ただいっしょにそこに居る、それだけでも大きな意味を持ちます。

そこで何も気の利いた言葉が出せないとしたら、何を言っていいかすら分からないのとしたら、「何も言えなくてごめんなさい。でも、痛いほどあなたの苦しみは伝わってきています」などと、正直に伝えることもありかもしれません。
むしろそこで沈黙を恐れて空虚な言葉を紡ぐと、相手は「何も分かってくれてない」と感じてしまいます。
沈黙から逃げたいのは、相手ではなくあなた自身であることを自覚すること、これが大切なのです。

だんだん根本的な問題が見えてきたでしょうか?
我々はこうした時、自分自身の持つ不安や焦りのために相手に話そうとする傾向があるということが分かってきたでしょうか?

そうしたら、アドバイスや他の表現についても同様の問題が見えてきます。

「こうすべき」「このような対処がある」などの、問題解決的な言葉も、時として危険です。
確かに、相手が本当にそうしたアドバイスを求めている時に、必要な情報を与えることは大切です。
しかし我々はしばしば、何も出来ない無力な自分自身のため、相手にアドバイスを押し付けようとします。
ところが、例えば何か大切なものを失った方は、ただその気持ちを吐露したいだけの時もあります。
そんな時、上からのアドバイスや解決法は何の役にもたちません。
相手はただあなたに聴いて欲しいだけ、ただその悲しみや怒りを口に出して受け入れて欲しいだけなのですから。
ですから、例えばこうした深い苦しみや悲しみに対してアドバイスをきり出すことは、「自分の話を聞こうとしてくれない」「苦しみや悲しみがナンセンスだと判断された」と感じさせてしまうことになりかねません。
まずは、相手の話、苦しみや悲しみをしっかり聴きましょう。
特にこうした死や喪失の問題の場合、解決法など無いことが多いのです。
だからこそ、本人も周囲も苦しいのです。

また、つい相手を元気付けようとして、または、相手に明るい側面を見てもらいたくて、「あなたも苦しんでるけど、世の中にはもっと苦しんでる人がいる」「津波で生き残っただけ良いじゃない」「死んじゃった人もいるのにそんなこと言っちゃだめ」などと言いたくなる方もいるかもしれません。
これも、しばしば起こりうることですよね?
しかしこうした言葉も、もしかしたら相手の苦しみを支えきれない、何も出来なく辛いあなた自身のために発せられている言葉かもしれません。
こうした悲しみや苦しみはあくまでもその本人の主観的な体験であり、他者と比べてどうこうというものでは決してないのです。
飼っていた犬が見つからない、など比較的軽度に見えるような問題であっても、本人ににとっては死ぬほど辛い問題であることはしばしばあるのですから。
だから、あくまでも相手の立場に立って理解していけるかどうか、聴いていけるかどうか、そこが問題なのです。

これまで書いていったことで、頑張れや大丈夫といった表現の問題が見えてきたでしょうか?

我々は無力です。
まずはそこを自覚するところからはじめましょう。
無力ではあるけれども、辛く絶望した人の役にもたちたいと思うそれもすばらしい気持ちです。
だからこそ、自分の無力さ、限界を自覚して、その自分自身の絶望感に振り回されずに、ベストを尽くしていきましょう。
相手の方が、本当に何を欲しているのか、求めているのか、そこに耳を傾けていきましょう。

最後にこれを忘れないでください。

今の自分にはそんな深い聴き方はできない、自分だって大変でそこまでの心のゆとりは無い、自分には何も出来ない、そうした方は、何もしなくていいのです。
そんな自分に焦ったり罪悪感を感じたり苦しさを感じたりするかもしれません。
でも出来ることは限られています。
無理して自分に出来ないことをやろうとして自分や相手をますます苦しめる必要はないのです
自分の出来ることを出来るだけやる、それだけで良いのです。
ただそれだけはしていく、それで良いのです。

(三羽理一郎 加州公認クリニカルサイコロジストPSY21622)

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