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人を助ける行動と自己満足や偽善について考えてみましょう(三羽)

今回は、援助行動(人を助ける行動)と、そこでの議論においてよく使われる「自己満足」「偽善」などについて、4回にわたって説明していきます。

このたびの震災で、ボランティアや支援活動など様々な援助行動が身近になっているのでそこを中心として書きますが、もっと一般的な援助行動にも当てはまる話です。
また、ここでいう援助行動とは、仕事としてではなく、無償で、強制でなく個人の「善意」により自発的に行なわれる様々な援助を指しています。


この問題を書こうと思ったきっかけは、震災直後、あるやりとりを耳にしたことからでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Aさん「被災地に何か物資を送りたいから古着を送ろう」
Bさん「阪神淡路大震災で古着が大量に送って来られたけれど使い道がなく、今回も古着は不要だと、自治体からのお願いに書いてありましたよ」
Aさん「でも、こんな大きな災害だったら、おむつや衛生処理に使えるかもしれないし、役に立つはず!いらなかっ たら送り返してくれればよいし」
Bさん「不要だと公言されているものを送るなんて自己満足でしょう、保管場所や保管の手間や送り返す時の手間や送料を被 災地に負担させることを見込んで送り付けるなんて、善意があれば何をやっても良いとはいえないと思います」
Aさん「自己満足だっていいじゃないか!緊急事態なんだから、色々考えて何もしないより、何かすることに価値がある!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういうパターン、良く聞きませんか?
こういうことやそこでの混乱があるから、援助行動に二の足を踏む人が出てきたり、また、他の人の援助行動に文句を言ったり、それで言い争いになったりということが起こるのだと思います。
それは大変もったいないことですし、「援助行動とは何か?」ということの基本がきちんと理解できていればそういう不毛な議論に陥らなくてすみます。
そこで、今回は援助行動というものについて一度見直して見ましょう。

まずは自己満足について。
人が援助行動を行う理由には様々なものがありますが、
「すべての援助行動は、基本的に援助者(援助する側)側が自身の自己充足を目指す、自己満足である」
このくらいに思っておくことがお勧めです。
つまり、援助行動は、援助する側の充足(自分の願望が満たされたいという思い)のために行なわれているということです。
ここまで読んで、「そんなはずはない!」と思った方もいるかもしれません。
それは当然の反応です。
きちんと理由を説明していきますので、どうぞ続きを読み進めてみてください。

まず、何よりも分かってほしいこと。
それは、援助行動における「自己満足」とは決して「あってはならないこと」ではないということです。
強調します。
自己満足のために他人を援助すること自体は、否定する必要が全く無いのです。

それはいったいどうしてでしょうか?
なぜならば、それは実はしごく当たり前のことだからです。
そして、「自分が自己満足のために他人を援助しているのだ」という感覚をきちんと認め受け入れて援助出来ている人の方が、その感覚を持っていない人よりも、冷静でいられるし、がんばり過ぎて苦しくなってしまうことも少ないであろうからです。
また、続く記事で詳しく説明しますが、この感覚をきちんと持つことで、援助の本来の目的をより遂行しやすくなるからでもあります。

人には、他者の役に立ちたい願望があります。
特に今回の震災のように、とてつもなく大きな被害やそれに苦しんでいる人を目にして、なおかつ自分に出来ることがあまりない場合、被災した方のために何か援助行動をしたくなるのは当然の気持ちでしょう。
本サイトにしても、「微力ながら自分たちの専門分野や能力を使って何か役立ててもらえるものを作りたい」という「我々自身の願望とその充足」のために作成されたわけですしね。

では、Aさんの言うように「自己満足だっていいじゃないか!緊急事態なんだから、色々考えて何もしないより、何かすることに価値がある!」と結論付けられるのでしょうか?
自己満足に過ぎなくても、善意さえあれば何をやっても構わないのでしょうか?
確かに自己満足は援助行動において当たり前に存在する気持ちですが、Aさんの言っているように自己満足さえ出来れば何をやってもいいというわけではありません。

ここで、援助行動の基本に立ち返ってみましょう。
困っている人(他者)がいて、その他者の役に立つこと、これが援助行動ですよね?
だから、援助行動が自己満足だけで終わってしまっていて、それが相手の役に立っていないのであれば、また、「相手の役に立つかどうかは考えなくても良い」と思ってしまったなら、それは自己満足は出来ていたとしても、援助行動であるとはいえないのです。
上のAさんの場合、自己満足かそうでないか、ではなく、相手の役に立っていないこと、相手に余計な負担を強いることを、その相手への「援助行動」だと勘違いしてしまっているところが、問題なのです。

そうして見ていくと、Aさんに対するB さんの反論がなぜAさんに伝わらなかったのかが明らかになってきます。
それはBさんが、上で述べた援助行動の基本ではなく、Aさんの「自己満足」の部分に焦点を当ててしまっているからです。
相手の役に立っていても、立っていなくても、どちらにしても援助行動は自己満足に関係しているもので、そこは今回議論するポイントではありません。
「ボランティアの基本は、相手の役に立つことですよね。あなたの古着を送るという活動は、あなたの『援助したい』という欲求の充足のみであり、相手の役に立たないことなので、援助行動にはなりえないんですよ。」
こここそが、Bさんの伝えるべきポイントだったのです。

「自己満足」は援助行動の前提として誰にでもいつでも、いくらかは存在するものであり、それが良いものか悪いものかということは、は問うべきものではありません。
援助における「自己満足」というのは、あってはならない感情ではなく、むしろあることが当たり前のものとして存在しているものです。
その上で「他者の満足」に向かえるかどうか、そこが、援助行動にあたり、最も重要な視点となるのです。

これまでの内容を整理しましょう。

援助行動にあたり、基本的に押さえておくべきポイントは二つです。
一つ目は、「援助行動とは困っている人(他者)がいて、その他者の役に立つこと、つまり他者をの満足を目指すことがその目的である」ということ。
二つ目は、「援助行動における自己満足は、誰にもいつでも当たり前にいくらかは存在している(つまりそれの是非を問うものではない)」ということです。
ものすごくシンプルなことではないでしょうか?

しかし、この二つのポイントがきちんと理解されていないこと、あるいは感情的に否定したくなってしまうことなどがさまざまな混乱を起こしていると思われます。
そのため今回は、まずこの「援助行動の基本」について説明しました。
ここまで読んでみていかがお感じでしょうか?
「なるほど」「でも!」と、いろいろな疑問や反論が出ているかもしれません。
続く記事では、援助行動をする際に起こりがちなそうした疑問・混乱や問題について色々述べていきます。

(三羽理一郎 加州公認クリニカルサイコロジストPSY21622)

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| | 2011/07/25 17:52 | |

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| | 2011/11/17 09:48 | |

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